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空想家

Reading edition

(一)

單調たんてうな自分じぶんの生涯しやうがいでも、三十五年さいの今いまから過去かこを振返ふりかへつて見みると、知しらぬ間まに幾多いくたの波瀾はらんを經過けいくわしてゐる。何故なぜあんな事ことを考かんがへてゐたのだらうと、昔むかしの幼稚えうちな自分じぶんを冷笑れいせうしたくなるが、それと共ともに五年前ねんまへ十年前ねんまへが懷なつかしく、あゝ今いま一度どあんな氣きになりたいなどと思おもはぬでもない。

自分じぶんは學校がくかうを卒業そつげふする十年前ねんまへ、雜多ざつたの空想くうさうや希望きばうが取留とりとめもなく湧わき上あがり、一人ひとりで悅うれしかつたり氣遣きづかはしかつたりした時とき、山吹町やまぶきちやうの素人宿しらうとやどに下宿げしゆくすることゝなつた。普通ふつうの下宿げしゆく屋やは騷々さう〴〵しいから、靜しづかな家うちへ移うつつて、うん﹅﹅と勉强べんきやうして卒業そつげふ後ご社會しやくわいへ出でる準備じゆんびをしやうぢやないかと、最もつとも親したしい細野ほその徹とほると相談さうだんして、漸やうやく捜さがし當あてたのが五十ばかりの寡婦くわふと十四五の男をとこの子こと二人ふたり切きりの或ある家うち。別べつに生活くらしに困こまるのではないが、小人數こにんずで淋さびしくはあり、家うちに不用ふようの室まがあるのだから、温和おとなしい人ひとになら貸かしてもいゝといふのを、或所あるところから聞込きゝこみ、早速さつそく談判だんぱんして承諾しやうだくを得えたのである。長ながい間あひだ手てを入いれぬと見みえ、家いへは隨分ずゐぶん古ふるびてゐるが、狹せまいながらも、庭にはもあり、殊ことに自分じぶん共どもの借かりた二階かいからは早稻田わせだの森もりまで一面めんに見渡みわたされる。

で、二人ふたりは引越ひきこした時とき、籖引くじびきで席せきを定さだめ、細野ほそのは西にし自分ゞぶんは東ひがしに机つくゑを据すえ、勉强べんきやう時間じかんも定きめて、その間あひだ决けつして無駄むだ話ばなしをしないことにした。互たがひに負まけぬやうに讀よんでは考かんがへ、考かんがへては讀よみ、時々とき〴〵小聲こごゑで話はなしをする外ほか、常つねに靜しづかに机つくゑに向むかつてゐるので女主人かみさんは非常ひじやうに感心かんしんし、自分じぶん共どもに向むかつて「貴下方あなたがたは屹度きつと御出世ごしゆつせなさる」と褒ほめそやし、暇ひまに任まかせて、五月蠅うるさい位くらゐ何なにかの世話せわを燒やいて吳くれる。その上うへ來くる人ひと來くる人ひとに、自分じぶん等らの噂うはさを持出もちだす。それも婆ばあさんの癖くせとして、つまらぬことまで仰山ぎやうさんに吹聽ふゐちやうするので、二階かいで聞きいてゐても可笑をかしくなる。「ほんとに今時いまどき珍めづらしい書生しよせいさんですよ、お酒さけを召上めしあがるぢやなし、寄席よせを聞ききに一度ど入いらつしやるぢやなし、」と褒ほめられるのは當前あたりまへだが、時ときとすると「御飯ごはんだつてちよんびり﹅﹅﹅﹅﹅しか召上めしあがらない」と、さも感心かんしんしたらしく褒ほめることがある。

或日あるひ細野ほそのがまだ學校がくかうから歸かへらず、自分じぶん一人ひとり東ひがしの窓まどを開あけて初秋はつあきの澄すんだ空そらを仰あふぎ、ぼんやりしてゐると、階下したで女主人かみさんが來客らいきやくに向むかつて、べちや〳〵お喋舌しやべりをしては笑わらつてるのが聞きこえる。相變あひかはらず自分じぶん共どもの自慢じまんをもしてゐるらしい。暫しばらくしてその話はなし聲ごゑの消きえると、窓まどの下したの垣根かきねに若わかい女をんなが現あらはれ、自分じぶんを見上みあげたが、急きふに驚おどろいて俯首うつむいて、すた〳〵と通とほり過すぎた。色いろの白しろい細ほつそりした女をんなで、髮かみは束髮そくはつ、葡萄色ぶだういろの羽織はおりを着きてゐた。自分じぶんは目めに映うつつて直すぐ消きえたこの姿すがたを思おもひ浮うかべ、懷なつかしくて溜たまらない氣きがする。今いま女主人かみさんと話はなしてた女をんなに違ちがひないが、何處どこの者ものだらうと、得意とくいの空想くうさうを逞たくましうして、甞かつて或ある處ところで出會であひ、互たがひに戀こひを打明うちあけやうとする間うちに何なにかに遮さへぎられ、別わかれ別わかれになつた女をんなではないかなどと、考かんがへてゐた。すると向むかひの家うちの庭にはから椽側えんがはへ上あがり、障子しやうじを開あけて内うちへ入はいる女をんなが見みえる。後姿うしろすがただけだが、束髮そくはつで葡萄色ぶだういろの羽織はおり、首筋くびすじが滑なめらかで白しろい。自分じぶんは意外いぐわいに驚おどろいたが、譯わけなく悅うれしかつた。「隣家となりには宮内省くないしやうの役人やくにんが住すんでゐて、別嬪べつぴんの娘むすめさんがゐる」と、女主人かみさんが問とはず語がたりをしたことがあつて、自分じぶんは別べつに氣きにも留とめなかつたが、あの女をんなを云いつたのだ。側そばにゐながら自分じぶんは一度ども見みたことがなかつたが、細野ほそのはこの窓側まどぎわに居ゐるんだから、屹度きつと見みてゐたに違ちがひない。

で、窓まどを離はなれずに、それからそれと考かんがへてゐる間うち、細野ほそのが例れいの如ごとく、長ながい髮かみをふは〳〵させ、沈しづんだ顏かほをして、白木綿しろもめんの風呂敷ふろしき包づゝみを抱いだいて歸かへつて來きた。

「郊外そとがよくなつたね、僕ぼくは『經濟けいざい』を休やすんで、一時間じかん落合おちあひの方はうを散步さんぽした」

と、細野ほそのは包つゝみを開あけて、書物しよもつや筆記帳ひつきちやうを取出とりだし、キチンと机つくゑの上うへに重かさねた。

「さうか、これから又また戶山とやまの原はらで讀書とくしよが出來できるね」といつて、態わざと平氣へいきで、「君きみは向むかひの娘むすめを見みたか」と問とふた。

「むん、何なんだか知しらんが、若わかい女をんなを一二度ど見みたよ」と云いつて細野ほそのは微笑びせうした。頰ほゝも少すこし紅味あかみを帶おびる。

「美人びじんだね」

「品ひんのある女をんなだ」

これだけの話はなしで、自分じぶんは元もとの机つくゑへ戾もどり、近世史きんせいしを讀よみかけたが、頻しきりに心こゝろが動搖どうえうして頁ページが墓取はかとらない。

そも〳〵自分じぶんが細野ほそのと親したしくなつたのはこの時ときから一年前ねんまへの秋あきである。それ迄までは陰氣いんきな因循いんじゆんな、何なんとなく齒切はぎれの惡わるい男をとことのみ思おもひ、打解うちとけて話はなしをすることもなかつた。所ところが或ある溫あたゝかき小春日こはるびに自分じぶんが落合おちあひの方はうへ散步さんぽに行ゆくと、土手どての木蔭こかげに背せなを靜しづかな秋あきの日ひに曝さらして一心しんに讀書とくしよしてる男をとこがある。よく見みると細野ほそのだ。好奇心こうきしんから近ちかづいて會釋ゑしやくし、

「何なにを讀よんでるんです」

と、小形こがたの書物しよもつをのぞくと、カツセル版ばんの「ウエルテルの悲哀ひあい」である。

「小說せうせつですか」と再ふたゝび問とふた。

「まあそんな者ものです」と、細野ほそのは書物しよもつを閉とぢて懷ふところに入いれたが目めが潤うるむでゐる。自分じぶんは不思議ふしぎに感かんじて、

「それは哀あはれな小說せうせつですか」と聞きくと、

「え、主人公しゆじんこうが失戀しつれんで苦悶くもんして自殺じさつするんです」

「君きみはそんな者ものに同感どうかんしますか」

細野ほそのは躊躇ちうちよして、「君きみはどうです」と問返とひかへした。

「僕ぼくは無論むろん同感どうかんします、君きみは」

「僕ぼくも同おなじ事ことです」

「そうですか、僕ぼくは君きみが戀こひに泣なく人ひととは知しらなかつた。」と、自分じぶんはステツキで櫻さくらの枝えだを叩たゝきながら、「どうです一緒しよに其その邊へんを散步さんぽしませんか」と促うながすと、細野ほそのは立上たちあがつて衣服きものの埃ほこりを拂はらひ、土手どてを駈かけ下おりた。

で、二人ふたりは寄よりつ離はなれつ、鐵道てつだう線路せんろを橫切よこぎつて田圃たんぼ道みちを步あゆみ、小說せうせつの話はなしから戀こひの議論ぎろんをした。その間あひだにも細野ほそのは目めを留とめ耳みゝを澄すまして、しんみりした周圍しうゐの景色けしきを味あぢはつてゐるやうである。既すでに初雪はつゆきの降ふつたといふ富士山ふじさんは白しろく正面しやうめんに聳そびえ、天てんは深ふかく澄すんで、雲くももなく風かぜもなく、只たゞ兵士へいしの射的しやてきのみが、物凄ものすごく空氣くうきを騷さはがせてゐる。

「僕ぼくは每日まいにちこの界隈かいわいを散步さんぽします」と、細野ほそのは上目うはめで空そらを仰あふぎ、「僕ぼくは靑あをい空そらを見みたり、白しろい雲くもの漂たゞようてるのを見みると、身體からだが地ちの上うへからふら〳〵飛とんで行ゆくやうな氣きがするんです、自然しぜんという者ものは實じつに神々かう〴〵しい美うつくしい者ものだ、それに何故なぜ人間にんげんばかりは汚きたないことや殘酷ざんこくなことをして下品げひんな生活せいくわつを送おくつてるんでせう、昨日きのふもね風かぜが吹ふいて寒さむかつたけれど、此處こゝを散步さんぽして、木この葉はがさら〳〵と雨あめの降ふるやうに落おちて、小鳥ことりが哀あはれさうに鳴ないてるのを聞きいてると、魂たましひがとろける﹅﹅﹅﹅やうになりました。君きみはどうです、自然しぜんを見みてそんな感かんじはしませんか。」

自分じぶんは左程さほど深ふかくは感かんじないのだが、細野ほそのの言葉ことばに感心かんしんした所ところだから、强しいて同意どういして、

「僕ぼくも君きみと同感どうかんです、つまり人間にんげんの慾望よくばうの中うちで最もつとも神聖しんせいな者ものは、自然しぜんを愛あいする心こゝろと戀愛れんあいとでせう」

「自然しぜんに醉ゑひ戀こひに醉ゑひか」と、細野ほそのは銀ぎんの鈴すゞでも鳴ならすやうな聲こゑで、朗吟らうぎんして深ふかく自みづから感かんじてゐる。自分じぶんは初はじめて彼かれを面白おもしろい男をとこだと思おもつた。

で、これ迄までの經歷けいれきを聞きくと、彼かれは作州さくしう津山つやまの生うまれ、縣けんの中學ちうがくを卒業そつげふすると直たゞちに上京じやうきやうしたが、學資がくしの支給しきうが充分じふゞんでないので、二三年ねんで身みに藝げいをつけ、自活じくわつした上うへ兩親りやうしんの世話せわまでせねばならぬ。その爲ために止やむなく私立しりつ學校がくかうの政治科せいぢくわへ入學にふがくしたものゝ、元來ぐわんらい政治せいぢや法律はふりつは好このましくない。だから學科がくゝわを勉强べんきやうする傍かたはら、詩しや小說せうせつを讀よんで慰なぐさめてゐるので、時々とき〴〵は自身じゝんでも新體詩しんたいしなどを作つくるとのこと。

「先日こないだも天使エンゼルの詩しを作つくつたんです、靑年せいねん男女だんぢよの純潔じゆんけつな戀こひ物語ものがたりを天てんの使つかひが白雲しらくもの上うへで聞きいてゐて、永久えいきうに戀こひが醒さめぬやうに神泉しんせんの水みづを注そゝぎかけてやる所ところを歌うたつたのです、近日きんじつ君きみに見みせませう、批評ひゝやうして下ください」

「そりや面白おもしろい、是非ぜひ見みせて吳くれ玉たまへ、二三日間にちゝうに訪問はうもんしますから」

自分じぶんは同級どうきふの友人いうじんの多おほくが、寄よると觸さはると徒いたづらに悲歌ひか慷慨かうがいして天下てんか國家こくかを談だんじ、或あるひは淫猥いんわいな話はなしに耽ふけるのを快こゝろよく思おもはず、殊ことに酒さけを呑のんで下女げぢよに戯たはむれたり、遊廓いうくわくに出入しゆつにふするのを苦々にが〳〵しく感かんじ、卑俗ひぞく下劣げれつの徒とと卑いやしみ、自分じぶんと趣味しゆみの同おなじい學友がくいうのないのを遺憾いかんに思おもつてゐた所ところだから、細野ほそのに會あつたのを無上むじやうに喜よろこび、翌日よくじつ學校がくかうの歸かへりに、彼かれの下宿げしゆくへ立寄たちよつた。四疊半でふはんで床とこもない部屋へやだが、小こさつぱりと取片付とりかたづけてある。

「よく來きましたね」と、情愛じやうあいのある聲こゑで迎むかへられると、もう懷なつかしくて悅うれしくて溜たまらなかつた。それから奇麗きれいな文字もじに滿みちた天使エンゼルの詩しの朗吟らうぎんを聞きき、自分じぶんは批評ひゝやうどころではなく、一字じ一句く悉こと〳〵く感動かんどうさせられ、自分じぶんもこんな詩しを作つくつて見みたいと、心底しんそこから細野ほそのの才さいが羨うらやましくなつた。情死じやうしの是非ぜひ、自殺論じさつろん、精神せいしんの自由說じいうせつ、社會しやくわいの俗趣味ぞくしゆみの攻擊こうげき、それからそれと話はなしの絕たゆる暇ひまなく、遂つひに晚飯ばんめしを共ともにして、夜よの十時じ頃ごろ迄まで腰こしを据すえた。

かくて二人ふたりは無む二の親友しんいうとなつたのである。

(二)

「お神かみさん、今いま來きてた女をんなは向むかひの娘むすめですか」と、晚餐ばんめしの膳ぜんに向むかつて聞きくと、女主人かみさんは指ゆびの先さきで長火鉢ながひばちの緣ふちをこすりこすり、微笑びせうして、

「貴下あなた御覽ごらんなすつて」

「え、一寸ちよつと見みました」

「いゝ女をんなでせう、先まづこの近所きんじよでは天神町てんじんちやうの煙草屋たばこやの娘むすめか、隣となりの娘こかが評判ひやうばんの女をんなですけれど、どうして角力すまふになる者ものですか、第だい一品ひんが違ちがひまさあね、それに堤つゝみのお多津たつさんは、學問がくもんが大變たいへんお出來できなさるし、生花いけばなであれ裁縫ぬいものであれ、何なに一ひとつ女をんなの藝げいに缺かけたものはないので御座ございますよ、もう十九ですから彼方あちらからも此方こちらからも、お嫁よめに吳くれろつて、やい〳〵云いつて來くるさうですがね、中々なか〳〵親御おやごが確しつかり者ものだから、おいそれとは行ゆかないんで御座ございますよ、それにもつと藝げいを仕込しこんで、何處どこへ出だしても耻はづかしくないものにしたいつてね」と、女主人かみさんは一息ひといきに喋舌しやべつて、湯沸ゆわかしをチヤブ臺だいに置おき、「貴下方あなたがたも堤つゝみさんへ御遊おあそびに被入いらつしやいましな、今いまは旦那だんなが御用ごようで西京さいきやうの方はうへ行いらしつて、無人ぶにんで淋さびしがつてゐられるんだから、お話はなし相手あひてでも出來できると、屹度きつとお喜よろこびなさいますよ、些ちつとも氣きの置おけぬ氣持きもちのいゝ家うちでね、私わたし共どももよく伺うかゞつては長話ながばなしをするんで御座ございますよ、昨日きのふも奧おくさんに貴下方あなたがたのお話はなしを致いたしますと、大變たいへん褒ほめて入いらつしやつたんですわ」

自分じぶんは平生ふだん女主人かみさんが物事ものごとを仰山ぎやうさんに云いふのを苦々にが〳〵しく思おもつてゐたが、隣家となりの話はなしについては少すこしも疑うたがひを挿さしはさまなかつた。それに自分じぶん等らの事ことをも隣となりの家族かぞくに向むかつて大袈裟おほげさに吹聽ふゐちやうしたことゝ察さつせられるが、それが少すこしも厭いやな氣きがせぬのみか、却かへつて悅うれしい氣きがした。

しかし、自分じぶんはよく知しらぬ家うちへ推おしかけて行ゆく勇氣ゆうきのあらう筈はずなく、只たゞ時々とき〴〵窓まどから隣となりの庭にはや緣側えんがはを見下みくだし、その姿すがたが現あらはれるかと空賴そらだのみするのみであつた。隣となりは平屋建ひらやだてゞ左程さほど大おほきくはないが、古色こしよくを帶おびて由緒よしありげに見みえ、庭にはが可成かなりに廣ひろく秋草あきくさが垣根かきねに茂しげり片隅かたすみには小ちいさな畠はたけがある。自分じぶんはその家庭かていをも連想れんさうし、氣品きひんのある母はゝと、古風こふうの父ちゝと、かの素直すなほな娘むすめとが穩おだやかな生活くらしをしてゐる樣さまを思おもひ浮うかべ、源氏げんじ物語ものがたりなどにある床ゆかしい住居すまゐを目めに見みてゐるやうに感かんじた。夜よるになり、冴さえた月つきがその草くさの生はへた屋根やねを照てらし、庭にはの草叢くさむらでは蟲むしが頻しきりに鳴なき出だすと、向むかひの家いへが夢ゆめの世界せかいになる。自分じぶんは憧憬あこがれの目めを以もつてそれを眺ながめ、果はてのない空想くうさうの浮うかび、悅うれしい悲かなしみが胸むねに滿みちる。

こんな風ふうで二三日にちを送おくつたが、あの女をんなが自分じぶんの念頭ねんとうを去さらぬことは、少すこしも細野ほそのに語かたらない。細野ほそのは又また卒業後そつげふごの責任せきにんを感かんじながら、絕たえず新體詩しんたいしに心こゝろを取とられ、今いまも『知しられぬ戀こひ』などを作つくつてゐる。それで晚食ばんめし後ご散步さんぽしながら、學問上がくもんじやうの議論ぎろんや卒業後そつげふごの生活せいくわつ方法はうはふについて互たがひに語かたり合あふ時ときも、何時いつの間まにか肝心かんじんの話はなしが外それて、人生じんせいの問題もんだいや戀こひの如何いかんが話題わだいに上のぼり、熱心ねつしんに感想かんさうを述のべ意見いけんを闘たゝかはす。細野ほそのは屡々しば〳〵ダンテの悲慘ひさんなる失戀しつれんに同情どうじやうを寄よせて說とき、「人生じんせいは要えうするに悲慘ひさんだ」とお定きまりの結論けつろんをする。ロメオの悲戀ひれん、ハムレツトの煩悶はんもん、細野ほそのはそれ等らの物語ものがたりを凉すゞしい聲こゑで詩的してきの調子てうしを以もつて話はなし、自分じぶんは眞面目まじめに聞きいて、間接かんせつに其等それらの主人公しゆじんこうに同感どうかんし、自分じぶんも彼等かれらと同おなじく、浮世ゆきよの哀あはれを身みにひし〳〵と覺おぼえてゐる一人ひとりだと信しんじてゐた。それと共ともにその哀あはれを解かいしない我々われ〳〵の仲間なかまは俗物ぞくぶつだとの自負じぶ心しんも多少たせうないでもなかつた。

(三)

舊曆きうれき八月ぐわつの十五夜や、これから散步さんぽに出でやうとしてる所ところへ女主人かみさんが二階かいの入口いりぐちへ首くびを出だして、

「ね槇田まきたさん、今いまお隣となりからお使つかひが來きましてね、今夜こんやお月見つきみをするから、太郞たらう(女主人かみさんの子こ)と、それから貴下方あなたがたにも是非ぜひ入いらしつて下くださいと云いふのですよ、行いつて御覽ごらんなさい、私わたし一人ひとりでお留守番るすばんしますから」と勸すゝめた。

自分じぶんは飛立とびたつやうであつたが、態わざと躊躇ちうちよの體ていで、

「さうですね、細野君ほそのくんは行ゆくかい」

「でも知しらん家うちへ行いくのは變へんだね」

「だつて太郞たらうもまゐるんですから、いゝぢやありませんか」

と、女主人かみさんは頻しきりに促うながす。

「ぢや行いつて見みるかな、君きみは」と聞きくと細野ほそのも同意どういした。

で、二人ふたりは太郞たらうについて、裏木戶うらきどから庭にはを橫切よこぎつた。太郞たらうは緣側えんがはに立たつて、

「叔母をばさん來きましたよ、皆みんなを連つれて」と大聲おほごゑで呼よんだ。すると四十位ぐらゐの小柄こがらな女をんなと太郞たらうと同おなじ年輩ねんぱいの顏かほの靑あをい男をとこの子こが奧おくから出でて來きて、

「よく入いらしつた、さあお上あがんなさい」と、頻しきりに後退しりごみする自分じぶん等らを、引張ひつぱり上あげるやうにして座敷ざしきへ通とほした。

自分じぶんは窮屈きうくつに畏かしこまつて只たゞ「はい〳〵」と受答うけこたへをしてゐたが、妻君さいくんは愛想あいそよく、快活くわいくわつな調子てうしで、絕間たえまなくいろんな世間せけん話ばなしを持出もちだすので、自分じぶんも何時いつの間まにか釣込つりこまれて、例れいの娘むすめが枝豆えだまめや白玉しらたまを盆ぼんに載のせて運はこんで來きた時ときは、最早もはや膝ひざも崩くづれてゐた。

「私わたしは面倒めんだう臭くさい世態話しよたいばなしは大嫌だいきらひな性分しやうぶんで御座ございましてね、若わかい方かたと一緖しよになつて、罪つみのないお話はなしをするのが一番ばん面白おもしろいんで御座ございますよ、ですからどうか度々たび〳〵入いらつして下くださいましな、此頃このごろは主人あるじが留守るすだし、小人數こにんずで本當ほんたうに淋さびしくてね、退屈たいくつで〳〵困こまつてるので御座ございますよ」と白玉しらたまをコツプに盛もつて、砂糖さとうをぶつかけて吳くれた。妻君さいくんは痩やせて目めの下したに小皺こじはがあるが、顏立かほだちは娘むすめによく似にてゐる。娘むすめは岐阜ぎふ提灯ぢやうちんを點火ともして軒のきに釣つるし、母はゝの側そばに座すわつた。太郞たらうは緣側えんがはで白玉しらたまを頰張ほゝばりながら、靑白あをじろい子息こどもと、蟲籠むしかごを弄もてあそんでゐる。

「今夜こんやはいゝお月樣つきさまだ」と、妻君さいくんは仰視あふむいて空そらを見上みあげた。

「私わたしはこんな晚ばんには哀あはれな音樂おんがくが聞ききたくなります」と細野ほそのが云いつた。

「音樂おんがくがお好すきなの、では此女これがもつと上手じやうずだとお聞きかせ申まをすんですけれど」

「琴ことがお上手じやうずだつて云いふぢやありませんか、聞きかせて頂いたゞくといゝんだが」

「だつて暫しばらくお稽古けいこを止やめてますから」と娘むすめは低ひくい聲こゑで云いつて、澄すましてゐる。細野ほそのも自分じぶんも强しいて求もとむる勇氣ゆうきはない。

「細野ほその君くんは新體詩しんたいしの朗讀らうどくが上手じやうずです、全まつたく音樂おんがく的てきです」と自分じぶんは座興ざきようを增ますやうにと差出口さしでぐちを聞きいた。

「おやさう、是非ぜひ聞きかせて下くださいましな」と、妻君さいくんが促うながすので、細野ほそのは初はじめ一寸ちよつと辭退じたいしたが、遂つひに中音ちうおんで「天使エンゼルの歌うた」を吟ぎんじた。こんな場合ばあひ、細野ほそのの性質せいしつとして別べつに氣取きどりもせず羞耻はにかみもせぬから、如何いかにも聲こゑが自然しぜんで歌うたひ振ぶりが面白おもしろかつた。妻君さいくんは口くちを極きはめて褒ほめ、娘むすめは莞爾につこりして「いゝ聲こゑだわねえ」と母はゝを見みて云いつた。

「槇田まきださんも何なにか隱かくし藝げいがおありなさるでせう」と、妻君さいくんが自分じぶんの方はうを見みる。

「いえ僕ぼくは駄目だめです、詩吟しぎん位ぐらゐだから」と自分じぶんは氣乗きのりもしなかつたが、あまりに攻せめられるので、詮方せんかたなく簡短かんたんに漢詩かんしを怒鳴どなつたが、あまり感心かんしんはされなかつたらしい。それから太郞たらうの軍歌ぐんかがあつて、互たがひに打解うちとけて來くると、妻君さいくんはトランプでもと云いひ出だしたが、自分じぶん等らは後日ごじつを期きして宿やどへ歸かへつた。

これから堤つゝみの家族かぞくと懇意こんいになり、二三度ど訪たづねても行いき、その度たび每ごとに妻君さいくんは機嫌きげんよく迎むかへて吳くれるが、娘むすめは何時いつも口數くちかずが少すくなく、ツンとした態度たいどを執とつてゐる。自分じぶんは東京とうきやうの若わかい女をんなに全まつたく知邊しるべのないためか、これに對たいしては一種しゆの畏おそれを感かんじて居をり、殊ことに堤つゝみの娘むすめは神々かう〴〵しいやうで、あまり馴なれ〳〵しく言葉ことばを掛かけると、無禮ぶれいを咎とがめられはせぬかと思おもつた。で、たまたま「欝陶うつとうしいお天氣てんきですこと」とか、「どちらへ御散步ごさんぽに行いらつしやつたの」とか、何なんでもない挨拶あいさつをされた丈だけで、非常ひじやうに愉快ゆくわいに感かんじてゐた。

「何故なぜあの女をんなはあゝ冷コールドなんだらう」と細野ほそのに問とふと、細野ほそのは、

「肉感にくかんが乏とぼしいからだらう、純潔じゆんけつな女をんなは冷ひやゝかに見みえるんだ、しかしあれで戀こひを感かんじやうなら、顏かほに生命いのちが現あらはれて溫味あたゝかみを帶おびて來くるよ」と鹿爪しかつめらしく說とく。

「さうかも知しれん、しかしあの女をんなはまだ戀こひを感かんじたことがないんだらうか。」

「無ないとも、戀こひした目めと戀こひしない目めとは、ちやんと區別くべつがある。」

「さうかね」と、自分じぶんは一も二もなく同意どういして、只たゞその戀こひする目めを見みたいと思おもつた。しかし自分じぶんがこの二階かいで、軟やはらかい空想くうさうに包つゝまれながら、矢鱈やたらに勉强べんきやうする平和へいわの時代じだいは長ながくは續つゞかなかつたのである。

(四)

或日あるひ同鄉どうきやうの友人いうじん葛原くづはら勇吉ゆうきちが訪たづねて來きて、盛さかんにこの宿やどを褒ほめ、「僕ぼくも少すこし勉强べんきやうしたいから、靜しづかな家うちへ移うつりたい、此家こゝには置おいて吳くれんだらうか」と云いつたが、自分じぶんはこの男をとこの騷々さう〴〵しいのを嫌きらつてゐたから、「外ほかに部屋へやもないやうだし、人出ひとでがないから大勢おほぜいを留とめる譯わけに行いかんだらう」と諦あきらめさせた。すると葛原くづはらは階下したへ下おりて、二三十分ぷん間かん女主人かみさんと話はなして來きたが、どう說ときつけたのか、太郞たらうの勉强べんきやう部屋べやを借かりることに定きめたさうだ。口先くちさきの味うまい爲ため、女主人かみさんも否いやと云いへなかつたのであらう。

案あんの通とほりこの男をとこが來きてからは、一家かの空氣くうきが異ちがつてしまう、自分じぶんと細野ほそのとは三度どの食事しよくじの時とき、女主人かみさんと話はなしをするのみで、箸はしを置をくと直樣すぐさま二階かいへ上あがるのだが、葛原くづはらは煙草たばこを吸すうて一時間じかんも話はなし込こみ、時々とき〴〵は太郞たらうの將來しやうらいについても親切しんせつさうに相談さうだん對手あひてになつてやる。根ねが我々われ〳〵とは違ちがひ、快活くわいくわつで調子てうしのいゝ洒落しやれの巧うまい男をとこだから、二三日にちの中うちに、すつかり女主人かみさんの氣きに入いつた。自分じぶん等らは勉强べんきやう家かで身持みもちがよいと褒ほめられても好すかれはしない。葛原くづはらは午寢ひるねをしやうと、夜深よふかしをしやうと、人間にんげんが面白おもしろくて、淋さびしい家いへを賑にぎやかにするのだから好すかれない譯わけがない。土曜日どえうびの晚ばんには屹度きつと一本ぽんつけさせ、微醉ほろゑひで落語らくごの眞似まねをしたり、色話いろばなしをする。細野ほそのの夕陽美せきやうびの講釋かうしやくや、新體詩しんたいしの說明せつめいよりは、どんなに面白おもしろく、女主人かみさんの耳みゝに響ひゞいたであらう。或晚あるばんも葛原くづはらは自分じぶん等らを前まへに置おいて一本ぽん平たひげて、更さらに一合がふだけを强請ねだり、窪くぼんだ眼めの緣ふちを紅あかくし、尖とがつた頤あごを突出つきだし、

「だつてお母つかさん、僕ぼくなんか酒さけでも呑のまなけりやつまらないさ、こんな御面相ごめんさうで、情婦いろが一人ひとり出來できるんじやなしさ。」

「今いまからお酒さけなんか召上めしあがるから、尙なほ出來できないんぢやありませんか」

「しかし槇田君まきたくんだつて細野ほその君くんだつて、まだ戀人こひゞとといふ奴やつが出來できんのは不思議ふしぎだ、磨みがき上あげれば皆みな色男いろをとこたる風采ふうさいを持もつてるんだがね、我黨わがとう振ふるはざる久ひさしだ、ハツヽヽヽ」

「どうして槇田まきたさんなぞは、卒業そつげふさへなされば、どんないゝ奧樣おくさまでもお好このみ次第しだいですわねえ、堤つゝみのお孃じやうさんだつて、槇田まきたさん〳〵つて大騷おほさわぎなんだから」と、女主人かみさんはさも眞實まことらしく云いふ。自分じぶんは「あゝ又また婆ばあさんが捏造ねつざうを初はじめたな」と思おもつたが、多少たせう嬉ゝれしくも感かんぜられた。

「本當ほんたうかい槇田君まきたくん」と、葛原くづはらは目めを丸まるくして眞顏まがほで聞きいた。

「そんな馬鹿ばかなことがあるものか」と、自分じぶんは苦笑くせうした。

「なにね、槇田まきたさんは御存知ごぞんぢなくつても、向むかうでは屹度きつと思おもつて居ゐらつしやるに違ちがひない」と老婆ばあさんは意地惡いぢわるく確たしかめた。

「眞實ほんとでも虛僞うそでも、そんな噂うはさが立たつだけでも名譽めいよだ、一ひとつ奢おごり玉たまへ、何なんならこれ一本ぽんに負まけて置おくから」と瓶子てうしを振ふつた。

「下くだらんことを云いつてらあ」と、自分じぶんは取合とりあはずに二階かいへ上あがつた。さら〳〵と雨あめを含ふくんだ風かぜが窓まどに當あたり、蟲むしの音ねが絕間たえまなく聞きこえ、折々をり〳〵は葛原くづはらの高たかい笑聲わらひごゑも聞きこえる。暫しばらくして細野ほそのが側そばへ來きて、「今いま女主人かみさんの云いつた事ことは本當ほんとかい、君きみがゐなくなつてから、いろんな皮肉ひにくを云いつてたよ」と、低ひくい聲こゑで、何なんだか氣遣きづかはしさうに云いつたが、彼かれの胸むねも鼓動こどうしてるやうだ。

「馬鹿ばかな、そんな事ことのある筈はずがないぢやないか、滅多めつたにあの家うちへ行いきやしないしさ、只たゞ老婆ばあさんが何なんでもないことを意味いみありげに云いひたがるんだ」

「でも全まつたく種たねのないことも云いはないだらう」

「屹度きつと何なんだよ、あの娘こが何なにかの拍子ひやうしで僕ぼくの事ことを聞きいたのだらう、それが老婆ばあさんの口くちへ上のぼると、あんなに誇張こちやうされてしまうんだから厭いやになつちまう」

「さうかねえ」と、細野ほそのは安心あんしんした風ふうだ。

しかし自分じぶんは、女主人かみさんの言葉ことばに、或あるひは多少たせうの事實じゝつが含ふくまれてはゐないかとも思おもひ、又また强しいてさう思おもふやうにした。で、萬一まんいちさうであつたらどうしやう、如何いかなる障礙しやうがいを破やぶつても、戀こひを成遂なしとげるの外ほかはない。葛原くづはらに揶揄やゆされやうとも老婆ばあさんに嘲あざけられやうとも關かまうものか、自分じぶんは彼かの女をんなと靜しづかな所ところに清貧せいひんなる生涯しやうがいを送おくればそれで足たつてゐる。彼かの女をんなとても世俗せぞくの榮華えいぐわを追求つひきうする風ふうはないから、自分じぶんの理想りさうに同意どういするに違ちがひない。

一日にち二日ふつかこんな取留とりとめのない空想くうさうに頭あたまを惱なやましてゐたが、敢あえて彼かの女をんなに會あつて心中しんちうを確たしかめやうともしない。葛原くづはらは堤つゝみの妻君さいくんとも懇意こんいになり、太郞たらうを連つれて頻しきりに出入しゆつにふすれど、自分じぶんや細野ほそのは滅多めつたに行いく機會きくわいがない。そして自分じぶんは葛原くづはらが隣家となりと親したしくなり、妻君さいくんにもチヤホヤされるのが不快ふくわいでならなかつた。自分じぶんの渇仰かつかうする聖殿せいでんを泥足どろあしで汚けがされる氣きがした。

或晚あるばん葛原くづはらが、「隣家となりでは今夜こんや大將たいしやうが留守るすだから、トランプを取とると云いつて來きたよ、一緖しよに行いかうぢやないか」と自分じぶん等らに勸すゝめた。

「トランプは知しらんもの」

「知しらなくたつていゝさ、人ひとが少すくないと面白おもしろくないから、是非ぜひ付合つきあつて吳くれ玉たまへ、君きみ等らもあまり勉强べんきやうに凝こると毒どくだよ、少すこしは呑氣のんきに遊あそぶ方はうがいゝよ」

「ぢや行いつて見みやう」

と、太郞たらうと共ともに凡すべて四人にんで隣家となりへ推おしかけた。

「叔母をばさん、皆みんな引張ひつぱつて來きましたよ」と、葛原くづはらはずんずん座敷ざしきへ上あがつた。彼かれは宿やどの女主人かみさんをお母つかさんと呼よび、堤つゝみの妻君さいくんを叔母をばさんと云いひ、娘むすめをお多津たつさんと呼よぶのだ。

「お多津たつさん、今日けふは負まけたものが奢おごるんですよ」

「えゝ〳〵、よう御座ござんすとも、どうせ負まけやしないから」と、娘むすめは違ちがひ棚だなから札ふだを取出とりだし、一同どうは輪わをなした。で、葛原くづはらが札ふだを切きつて順々じゆん〴〵に撒まいて行いつたが、その手際てぎはは甘うまいものだ。自分じぶんや細野ほそのは只たゞ敎をそはつた通とほり機械的きかいてきにやつてるのみで別べつに興味きようみもない。娘むすめは夢中むちうになつて、身體からだを搖ゆすぶり札ふだを持もつた手てをもぢ〴〵させて勝敗しやうはいを氣遣きづかつてゐる。葛原くづはらは叫さけんだり笑わらつたり、頭あたまを搔かいたり舌したを出だしたり、一人ひとりで騷さわいで座ざを賑にぎやかにする。自分じぶんは折々をり〳〵うつとり﹅﹅﹅﹅して、この家庭かていの行末ゆくすゑを思おもひ、葛原くづはらのやうな卑俗ひぞくな男をとこが出入しゆつにふして、穩おだやかな床ゆかしい生活くらしを搔亂かきみだし、下等かとうな趣味しゆみを注そゝぎ込こみ、一家かが堕落だらくしてしまうことを氣遣きづかひ、「何なにを考かんがへて入いらつしやるの、貴下あなたの番ばんぢやありませんか」と、側そばの妻君さいくんから叱しかられる位くらゐであつた。

遂つひに細野ほそのと自分じぶんとが劣敗者れつぱいしやと定きまり、蕎麥そばを奢おごらされた。葛原くづはらは萬歲ばんざいを唱となへ、娘むすめはほつと息いきを吐つき、「あゝよかつた」と莞爾につこりする。自分じぶん等らは如何いかにもつまらない。それで今いま一度どと娘むすめが云いひ出だして外ほかの者ものは同意どういしたが、自分じぶん等ら二人ふたりは辭退じたいして歸かへつた。歸かへつて二階かいの窓まどを開あけて、星影ほしかげを仰あふいでゐると、堤つゝみの座敷ざしきの燈火あかりが微かすかに見みえる。まだトランプをやつてるのであらう。

「困こまるね、葛原くづはらが侵入しんにふしては、此家こゝだつて、あの男をとこが來きてから、すつかり婆ばアさんの態度たいどが違ちがつてしまつた。が、それはまあいゝとして、堤つゝみの家うちへ行いつちや困こまるよ、家うちの婆ばアさんなんか、どうせ趣味しゆみが低ひくいんだから、葛原くづはらに感化かんくわされるのも當然たうぜんだがね、隣となりの家族かぞくは敎育けういくもあり品位ひんゐも備そなへてるのに、何故なぜ葛原くづはらを勸迎くわんげいするんだらう」と、自分じぶんが細野ほそのに話はなしかけると、

「さうだね」と細野ほそのは首くびを傾かしげ、「僕ぼくは隣となりの母子おやこが决けつして葛原くづはらを喜よろこんでやしないと思おもふ、擧動きよどうや顏色がんしよくでさう察さつしられるぢやないか、殊ことに娘むすめは胸むねに何なにかの苦くるしみがあつて堪たまらないから、それでトランプや馬鹿ばか話ばなしで忘わすれやうとしてるんだ、あの目めは確たしかに美うつくしい者ものや淸きよい戀こひを求もとめてるといふ風ふうだ」と、上目うはめで空そらを見みて、落付おちついた聲こゑで云いつた。

自分じぶんは細野ほそのの說せつには少すこしの根據こんきよもないと思おもつたが、「さうかねえ」と云いつて、別べつに反對はんたいもしなかつた。平生ふだん自分じぶんは己おのれの希望きばうや想像さう〴〵について、多少たせうの疑うたがひを有いうしてゐたが、細野ほそのは决けつしてそんな事ことなく、何事なにごとについても一種しゆの意見いけんを有いうしてゐて、自分じぶんが聞きいてすら、幼稚えうちな空想くうさうだと思おもふ事ことを確信かくしんしてゐた。

で、兎とに角かく自分じぶんは細野ほそのの如ごとく樂觀らくゝわんしてゐられぬ。堤つゝみ一家かのために、葛原くづはらを遠とほざける工夫くふうを講かうぜぬばならぬと、腹はらの中なかで藻搔もがいてゐた。所ところがその翌晚よくばん、葛原くづはらが女主人かみさんと太郞たらうとを連つれて寄席よせへ行いつた後あと、

「御免ごめんなさい、叔母をばさんはお留守るす?」

と勝手かつての方はうで呼よぶ聲こゑがする。自分じぶんは留守番るすばんを仰あふせつかつてゐるから、早速さつそく駈かけ下おりて見みると、それがお多津たつである。萩餅おはぎを持もつて來きて吳くれたのだ。

「まあお上あがんなさい、皆みんな留守るすだけれど」

「葛原くづはらさんも」

「え僕ぼくと細野ほその君くんだけです、」

「昨夕ゆふべお負まけなすつて、今夜こんや又またお留守番るすばんではつまらないわねえ」と、目めに笑わらひを含ふくんで馴なれ〳〵しい態度たいど。

「僕ぼくは寄席よせは嫌きらひだから行いきたくはないんです、トランプだつて些ちつとも面白おもしろくはないし、負まけたつて口惜くやしくはありません」といつたが、今夜こんやは珍めづらしくお多津たつの態度たいどが打解うちとけ易やすいやうであり、又また他人ひとを交まじへずに差向さしむかひで話はなす機會きくわいは又またと得えられぬのであるから、思おもひ切きつて、

「僕ぼくは是非ぜひ貴女あなたにお話はなししたいことがあるんですが、此方こちらへ上あがつて聞きいて吳くれませんか」と、氣きを靜しづめて、言葉ことばも强しいて穩おだやかにした。

「何なんのお話はなし」と、例いつもの冷ひやゝかな調子てうしで云いつて、勝手かつてに板いたの間まに腰こしを下おろし、橫向よこむきに自分じぶんの顏かほを見詰みつめた。

「何なんと云いつて別べつに何なんでもないが」とドキマギした揚句あげく、「僕ぼくは貴女あなた初はじめ、家族かぞくの方かたを尊敬そんけいしてるんです、お宅たくへ行いくと優雅いうがなしつとり﹅﹅﹅﹅した空氣くうきが滿みちてるやうに感かんぜられるんです。貴女あなたは幸福かうふくな家庭かていに生うまれて純白じゆんぱくな生涯しやうがいを送おくるんだから」と、又また云いひ淀よどんだ。

「あらそんなお話はなし、槇田まきたさんも隨分ずゐぶん可笑をかしな方かたね」と、お多津たつは半なかば身みを起おこした。

「だから貴女あなたは天てんから授さづかつた純白じゆんぱくな性質せいしつを傷きづゝけんやうにしなくちやならん、下品げひんな趣味しゆみや野卑やひな談話だんわは貴女あなたには適てきしないんです。」

「槇田まきたさんは六むつケ敷しいことばかり仰有おつしやるのね、お說敎せつけうでも聞きいてるやうだわ」と笑わらつて、

「下品げひんな趣味しゆみといふのは何なんですか、トランプを取とること」

「さうでもないんだが、兎とに角かく葛原ゝづはらなんかに感化かんくわされちや駄目だめですよ」

「え、葛原くづはらさんがどうかしたの」

「あの男をとこは面白おもしろい人間にんげんだけれど、どうも趣味しゆみが下品げひんだからいかん、貴女あなたもそのつもりで御交際おつきあひなさるがいゝ」

「私わたし趣味ゝゆみが下品げひんだつていゝのよ」と、例れいのツンとして立上たちあがつた。

「僕ぼくは貴女あなたを尊敬そんけいしてるから云いつたのです、惡わるい意味いみに取とらないやうにして下ください」

と、自分じぶんは狼狽うろたへた氣味きみ。

「つまり葛原くづはらさんとお交際つきあひするなと仰有おつしやるんでせう、貴下あなたは何故なぜお友逹ともだちを除物のけものになさるの、葛原くづはらさんは被入いらつしやる度たびに、貴下あなた方がたをお褒ほめなさるのに、貴下あなたは葛原くづはらさんの惡口わるくちなんか云いつて、」

「さうぢやないさ、しかし貴下あなたはまだ御存知ごぞんぢないだらうが、葛原くづはらはこれ迄までズボラで評判ひやうばんの惡わるい男をとこだから、あんな男をとこを家庭かていへ侵入しんにふさすと信用しんように關くわんすると思おもつて云いつたのです、僕ぼくは貴女あなたに初はじめてお目めに掛かゝつた時ときから、貴女あなたを品性ひんせいの傑すぐれた方かたと思おもつて、一生しやう天使エンゼルのやうな生涯しやうがいを送おくるやうに願ねがつてゐます。」

お多津たつは澄すました顏かほで不審いぶかしげに自分じぶんの顏かほを見みて、「私わたし、尊敬そんけいされたり、天使エンゼルとかになりたくはありませんわ、貴下あなたこそ餘程よつぽど妙めうね……お話はなしつてそれつ切きり」と云いつて、會釋ゑしやくして歸かへつてしまつた。自分じぶんは失望しつばうして二階かいへ上あがると、細野ほそのが、

「君きみは何なにを話はなしてたんだ」

「向むかひの娘むすめが來きたから葛原くづはらの人ひとと爲なりを聞きかせたけれど、薩張さつぱり分わからない、矢張やはり平凡へいぼんな女をんなだね」

「僕ぼくはさう思おもはない」と、細野ほそのは彼かの女をんなを月世界げつせかいから降ふつて來きた女をんなのやうに思おもつてゐるらしい。自分じぶんは葛原くづはらに大事だいじの寶たからを踏碎ふみくだかれ、又また理想りさうの女をんなから愛相あいそを盡つかされた如ごとく感かんじ、急きふにこの宿やどが厭いやになり、轉居てんきよしやうと决心けつしんし、細野ほそのに同意どういを求もとめたが、細野ほそのは面倒めんだう臭くさいからといふ口實こうじつで賛成さんせいしない。

で、その翌日よくじつから學校がくかうの歸途きと自分じぶん一人ひとりで宿やどを捜さがし廻まはり、二三日にちの間うちに、漸やうやく氣きに向むいた所ところを見みつけた。いよ〳〵轉宅てんたくと定きまつた日ひに、葛原くづはらは二階かいへ來きて、

「諦あきらめて逃にげ出だすんか」と、皮肉ひにくを云いひ、「君きみはひどいな、レデイに向むかつて僕ぼくの事ことを趣味しゆみの低ひくい奴やつだと云いつたさうだが」

「何なにさうぢやないよ」と、自分じぶんは少すこし紅あかくなつて辯解べんかいしやうとすると、葛原くづはらは無邪氣むじやきに口くちを開あけて笑わらひ、

「それはどうでもいゝさ、しかし、君きみ、女をんなに向むかつて趣味しゆみの高下かうげを論ろんずるなんか、野暮やぼの極きよくだぜ、レデーでもエンゼルでもお薩さつを喜よろこんで召上めしあがるんだもの」

(五)

自分じぶんの轉居てんきよ先さきは雜司ざうしケ谷やの百姓家しやうや、藁葺わらぶきの軒のきの傾かたむき、壁かべは骨ほねを出だし、疊たゝみは擦すりむけて足あしに引ひつかゝる程ほどだが、前まへに大根たいこん畑ばたがあり四方はうは楢ならや樅もみが取圍とりかこみ、外ほかの人家じんかとかけ離はなれて、荒寺あれてらのやうである。下町したまちのさる富豪ふがうの所有しよいうで、やがて地代ぢだいの上あがるのを待まちち賣うりはなす筈はずだが、それ迄まで番人ばんにんとして、獨身ひとりものの作藏さくざう爺ぢいに無代むだいで貸與たいよしてゐるのだ。自分じぶんはこの爺ぢいさんの白痴はくちの如ごとく逹人たつじんの如ごとく、何なんとなく世間せけん離ばなれしてゐるのを面白おもしろく感かんじ、一緖しよに引割ひきわり飯めしを食くひ、時々とき〴〵は大根だいこの蟲取むしとりの手傳てつだひをもしてやり、無論むろん學問がくもんは怠おこたらなかつた。で、山吹町やまぶきちやうへは全まつたく足あしを向むけぬ。細野ほそのは屡々しば〳〵訪たづねて來きては、楢林ならばやしの下したに落葉おちばを敷しいて、暮くれ行ゆく秋あきを眺ながめて、夢ゆめのやうな話はなしに耽ふけつてゐた。しかし自分じぶんは堤つゝみの娘むすめの事ことは成なるべく口くちに出ださぬやうにし、細野ほそのも語かたらなかつた。

しかし細野ほそのも間まもなく山吹町やまぶきちやうの宿やどを出でて、戶塚町とつかまちの植木屋うゑきやの一室まを借かり、卒業そつげふ迄まで其處そこで暮くらしたのである。

卒業後そつげふごは二人ふたりとも一日にちも早はやく職業しよくげふを求もとめねばならぬ。殊ことに細野ほそのは鄉里きやうりの家族かぞくを補助ほじよする義務ぎむさへあつて、自分じぶんよりも糊口こゝうの方法はうはふを焦あせらねばならぬのだ。しかるに彼かれは試驗しけんが濟すむと、一生涯しやうがいの重荷おもにを卸おろした氣きで、衣服きものや敎課書けうくわしよを賣拂うりはらつて、相州さうしう葉山はやまへ旅行りよかうした。そして或日あるひ自分じぶんが先輩せんぱいを訪問はうもんして職業しよくげふの周旋しうせんを依賴いらいし、汗あせと埃ほこりにまみれて歸かへると、彼かれからの手紙てがみが來きてゐた。

「…………僕ぼくは今いま相模灣さがみわんを見下みおろした小高こだかい寺てらに寄寓きぐうし、菜食さいしよくに滿足まんぞくし、肉慾にくよくを忘わすれて靈れいの生活せいくわつをしてゐる。朝あさは早はやく起おきて、まだ人影ひとかげもなく、海うみも神秘しんぴの水氣すゐきに閉籠とぢこめられてゐる頃ころ、明神崎みやうじんざきへ行いつて、岩蔭いはかげに踞きよして作詩さくしの工夫くふうを凝こらし、晝ひるは寺てらの廣間ひろまに寢ねころんで、海風かいふうに耳みゝの穴あなまで撫なでられて、キーツやヲルヅヲルスの詩しを朗讀らうどくしてゐる。僧侶そうりよの讀經どくきやうや筧かけひの水音みづおとは、柔やはらかに僕ぼくの膓はらわたまで染しみ込こむ。今いまも夕暮ゆふぐれの磯傳いそづたひから歸かへり、苔こけに蔽おほはれた石段いしだんを上あがつてゐると、鐘かねの音ねが永遠エターニチーの響ひゞきを傳つたへ、僕ぼくは宇宙うちうの神靈しんれいに觸ふれた如ごとく感かんじ、希悅きえつの淚なみだが出でた。戀こひに絕望ぜつばうし世よに倦うんだ古いにしへの人ひとが、寺院じゐんに身みを遁のがれたのは、さもあるべき事ことと思おもはれる。……」

と記しるし、最後さいごに現在げんざいの我わが心こゝろだとして、キーツのソンネツト"Oh! How I love, on a fair summer's eve"の全體ぜんたいを寫うつし添そへた。

彼かれは殆ほとんど生活せいくわつの方針はうしんなどを念頭ねんとうに置おいてゐないらしい。歸京きゝやうしてからでも敢あえて齷齪あくそくとして職しよくを漁あさるでもなく、月給げつきう取とりとなり一家かを構かまへるよりも、秋あきが來きて郊外かうぐわい散步さんぽの出來できる時ときを待まつてるやうだ。超然てうぜんとしたその態度たいど、純潔じゆんけつなその精神せいしん、自分じぶんは細野ほそのを尊敬そんけいせずにはゐられなかつた。

幸さいはひにして自分じぶんも細野ほそのも會社員くわいしやゐんの口くちに有りついたが、自分じぶんは大阪おほさか、細野ほそのは東京とうきやう、別わかれ〳〵に勤つとめねばならぬ。で、自分じぶんが出立しゆつたつの二三日前にちまへ、二人ふたりきりで離別りべつの會くわいを催もよほし、自分じぶんは將來しやうらい活動くわつどうの計畵けいくわくを詳くはしく語かたり、細野ほそのは理想りさう、神靈しんれい、淸きよき戀こひなどについて美うるはしい夢ゆめを語かたつた。

それから四五年ねん、細野ほそのに會あふ機會きくわいはなかつた。初はじめの間うちは書信しよしんの往復わうふくが頻繁ひんぱんであつたが、月つきを重かさぬるにつれ次第しだいに減げんじ、後のちには殆ほとんど音信おんしん不通ふつう、たまの手紙てがみも極きはめて簡短かんたんで、君きみも無事ごぶじにや、僕ぼくも無事ぶじ、殘暑ざんしよ酷きびしく候そろ位くらゐに過すぎぬ。

この間あひだに自分じぶんの生活せいくわつ狀態じやうたいは餘程よほど變かはつた。酒さけも飮のむ、遊廓いうくわくへも行ゆく、上役うはやくの目顏めがほを注視ちうしするやうにもなつた。月日つきひの徒いたづらに早はやく過すぎて、豫想よさうの一ひとつ〳〵外はづれて行ゆくことも知しつた。しかしまだ若わかい血潮ちしほが乾かれてはゐない。詩しを讀よんで泣なき、會社くわいしやの冷遇れいぐうを憤いきどほり、或あるひは戀人こひゞとと共ともに淵川ふちかはに身みを投とうずるの勇氣ゆうきがないでもなく、從したがつて多少たせうの波瀾はらんが一身上しんじやうに湧わいて起おここつたが其等それらは他日たじつを期きして茲こゝには語かたらぬ。

さて或年あるとしの夏なつ、辛からうじて一週間しうかんの休暇きうかを得えて上京じやうきやうした。久振ひさしぶりであり、訪とふべき先輩せんぱいや友人いうじんも多おほいけれど、先まづ遇あつて見みたきは細野ほその徹とほる。長ながらく消息せうそくに接せつしなかつたのだが、どんなに變かはつてるだらうと、大手町おほてまちの會社くわいしやを訪たづねると、先頃さきごろ退社たいしやしたとかで宿所しゆくしよも分わからぬ。で、二三軒げん聞きき廻まわつて、漸やうやく移轉先ゐてんさきを突留つきとめ、早速さつそく車ゝるまで駆かけつけたのだが品川しながは御殿山ごてんやまの門構もんがまへ嚴いかめしい家うち。此處こゝで何なにをしてゐるのだらうと訝いぶかりながら案内あんないを乞こふと、玄關げんくわんに出でて來きたのが細野ほそのである。「ヤア」と自分じぶんは目めを見張みはつて、彼かれの痩やせて靑あをく鼻はなばかり尖とがつた顏かほを見みてゐたが、彼かれも驚おどろいて「君きみも非常ひじやうに異ちがつたね、會社員くわいしやゐんらしくなつた」と、兎とに角かく直すぐ傍そばの書生しよせい部屋べやへ案内あんないした。

「君きみは會社くわいしやを止よしたさうだね、今いまは何なにをしてるんだ」と、自分じぶんは座すわるや否いなや聞きくと、

「この通とほり書生しよせい部屋べやにごろ〳〵してる、しかし突然とつぜん君きみに會あつたので、何なんだか外ほかの世界せかいへ來きてる氣きがするよ」と、自分じぶんをのぞき込こんで沈しづんだ聲こゑで云いひ、目めが潤うるんでゐる。

「僕ぼくも忙いそがしいもんだから、つい手紙てがみも怠おこたつて濟すまなかつた、その後ご君きみはどうしてゐた、何なんだか身體からだも惡わるさうぢやないか」

「うん少すこし弱よわつてるがね、大たいしたこともあるまい」と、彼かれは云いひさして、急きふに「氷こほりでも取とつて來こやう」と出でて行いつた。後あとで自分じぶんは羽織はおりを脫ぬいで、扇子せんすを激はげしく使つかひ、汗あせを乾かはかせながら、部屋へやの隅々すみ〴〵を見みるに、衣紋竿えもんざをにかけた衣服きものも、小ちいさい本箱ほんばこも、茶道具ちやだうぐまで四五年前ねんまへの下宿げしゆく屋や時代じだいとあまり變かはつてゐない。只たゞ海邊かいへんの水彩畵すゐさいぐわが一枚まいかかつてゐるのが目新めあたらしい位ぐらゐ。本箱ほんばこを開あけて見みると、矢張やはりキーツやシエレーの詩集ししふがあつて、前まへよりも手垢てあかがついてゐる。机つくゑには二三帖てうの半紙はんしを載のせ、感想錄かんさうろくやうの者ものを書かきかけてゐる。

「昨夜さくや公園こうえんを散步さんぽして瞑想めいさうに耽ふける、美うつくしき世界せかいよとの感切かんせつにして、随喜ずゐきの淚なみだにむせんだ。夕暮ゆふぐれの紅あかい雲くもが見みる間まに色いろを失うしなひ、一抹まつの靄もやが大崎おほさきの平地へいちを籠こめ、あちこちの燈火とうくわは水中すゐちうに浮動ふどうしてゐるやうであつたが、やがて際立きはだつて赤あかい一點てんの燈火とうくわが、大蛇だいじやの眼まなこの如ごとく光ひかつて、靄もやを突破つきやぶつて疾驅しつくして、轟々ぐわう〴〵と音おとのみ殘のこして姿すがたを隱かくすと、靄もやは次第しだい々々〳〵に消きえ失うせ、月光げつくわうは隈くまなく照てり渡わたり、谷たにを隔へだてた彼方かなたの欝蒼うつさうたる森林しんりんから、目めの下したの小ちいさい藁小屋わらごやまで、風情ふぜいある詩しの世界せかい、床ゆかしき夢ゆめの里さととなつてしまつた。人間にんげんの聲こゑもせぬ。風かぜの音おともせぬ。只たゞ停車場ステーシヨンの向むかう、森もりの右端いうたん、白雲しらくもが渦卷うづまいてる遠とほき〳〵所ところに、電光でんくわうが銳するどく光ひかつてる計ばかり。予よは翼つばさを得えて光ひかりの中なかに漂たゞよひたく思おもつた。冴さえた月影つきかげは戀こひする男をとこ戀こひする女をんなを乗のせて、遠とほき光明くわうめうの鄉さとへ送おくるに適てきしてゐる。」

と書かき、尙なほ「月つき曰いく」と題だいをつけ、何なにをか書かかんとしてゐる。

自分じぶんはこれを讀よんで、「まだこんなことを考かんがへてるな、身體からだは非常ひじやうに痩やせ衰をとろへてるが心こゝろは昔むかしの通とほりだな」と思おもつてゐると、ドアが開あいて、

「細野ほそのさん、蟲干むしぼしをするんだから、一寸ちよつと新座敷しんざしきへ來きて下くださいな」と、美人びじんが顏かほを出だし、自分じぶんを見みて直すぐ引込ひつこんだ。

間まもなく細野ほそのが歸かへつて來きた。

「今いま美人びじんが君きみを呼よびに來きたよ、あれは此家こゝの娘むすめかい」

「うん」

「一體たい何なんの緣故えんこで君きみは此家こゝへ入はいり込こんだ」

「一寸ちよつとした關係かんけいで來くるやうになつたのさ」

「何なにか目的もくてきがあるのか」

「外ほかに食くふ道みちがないから」

「しかし玄關番げんくわんばんはひどいぢやないか、何なにか外ほかに仕事しごとがあるだらうに」と、自分じぶんは眉まゆを顰ひそめたが、細野ほそのは敢あえてそれを苦くにもしない風ふうだ。彼かれは無限むげんの空そらを仰あふいで泣なき、詩しを讀よんで泣なくことが多おほいけれど、自己じこの境遇けうぐうについて萎しほれることはない。

「僕ぼくは放浪はうらうすべき運命うんめいを有もつてるんだ。定職ていしよくに拘束こうそくされてゐたくてもゐられない。社しやを止やめたのも、自分じぶんでいやで止やめたのでもなし、敢あえて免職めんしよくさゝれたのでもない。只たゞ何なんとなく止やめるやうになつたのだ。運命うんめいだね。此處こゝへ來きたのも、ほんの偶然ぐうぜんの事ことさ。社しやの或ある友人いうじんに連つれられて、此處こゝへ古畵こぐわを見みせて貰もらひに來きた時とき、主人しゆじんに繪ゑの話はなしをしたら、此處こゝの主人しゆじんも少すこし變物へんぶつと見みえてね、僕ぼくの感想かんさうが面白おもしろいと云いふんだ。それから懇意こんいになつて、食扶持くひふちに離はなれた時とき、轉ころがり込こむことになつたんだが、何なに、長ながく居ゐるつもりはないんさ。一體いつたい僕ぼくは祖父ぢいさんに能よく似にてるさうだがね、祖父ぢいさんは維新前いしんまへに西國さいこく四國こくと巡禮じゆんれいの旅たびばかりして、最後さいごに善光寺ぜんくわうじで往生わうじやうしたんだ。面白おもしろい一生しやうぢやないか。僕ぼくは昨夜ゆふべその祖父ぢいさんの巡禮じゆんれい姿すがたを夢ゆめに見みたよ、雲くもに乗のつて、脊せなには負笈おひづる、手てには金剛杖こんがうづゑ、菅笠すげがさには同行どうぎやう二人にんと書かいてある。二人ふたりの一人ひとりは僕ぼくかも知しれん、僕ぼくも多少たせうの旅費りよひが出來できたら、都會とくわいを出でて巡禮じゆんれいで暮くらして見みたい」と、云いつて微笑びせうした。が、彼かれの面おもては四五年前ねんぜんよりも更さらに俗氣ぞくきが少すくない。

「それも面白おもしろからう、君きみは生存せいそん競爭けうさうの渦中くわちゆうに投とうずる人ひとぢやないんだから。しかし國くにの家族かぞくはどうする、君きみが貢みつがなくてもいゝんかい。」

「いや國くにぢや困こまつてるだらう」

「ぢや、君きみ一人ひとり仙人せんにんになる譯わけにも行いかんぢやないか、第だい一經濟科けいざいくわに入はいつたのが、既すでに君きみ自身じしんの好このみぢやなくつて、一家かの事ことを思おもつたからだもの」

「無論むろんさうだがね」と細野ほそのの面おもてにも少すこしは憂色いうしよくが現あらはれたが、それも瞬またゝく間うちに消きえ失うせ、「しかし僕ぼくは鄉家くにの事ことばかり考かんがへちやゐられない、それで彼方あちらから手紙てがみでも來くると、厭いやな氣きがしてならんから、成なるべく讀よまんやうにしてる」

「だつて、何時いつまでもそれぢやゐられまい、君きみだつて既すでに二三年ねんも會社くわいしやで働はたらいてたんだから、多少たせう事務じむの經驗けいけんも積つんだらうしね、捜さがしたら相當さうたうな職しよくが得えられるだらう、何なんなら僕ぼくが周旋しうせんしやうか」

「先まづ當分たうぶん見合みあはせる、それに僕ぼくにや經驗けいけんが役やくに立たたんから駄目だめだよ。尤もつとも社しやへ出でてる間あひだは漸やうやく一人ひとり前まへの事ことだけ出來できんでもなかつたがね、社しやを出でると直すぐにその經驗けいけんが消きえてしまつた氣きがする。社しやにゐた時ときでも、帳簿ちやうぼに向むかつてると、何なんだかかう、脊せなに石いしでも脊負せおつてるやうで、呼吸いきも苦くるしくなるんだ、それで社しやから歸かへりに堀端ほりばたへ出でて、あの石垣いしがきや松まつを見みると、急きふに重荷おもにが下おりて氣きが淸々せい〳〵するよ。で、終しまひには算盤そろばん持もつて何なにかやつてゝも、目めの前まへに石垣いしがきがちら〳〵することがあつた位くらゐだ」

「何時いつまでも君きみは變かはらないね、その點てんは羨うらやましいが、少すこしは生活せいくわつも考かんがへ玉たまへな」

「あゝその間うちどうかする」

それから二人ふたりは、戀こひを談だんじ詩しを語かたり、人生じんせいの憂苦いうくを歎たんじた。細野ほそのの顏かほは窶やつれて、如何いかにも世路せいろに疲つかれてるやうに見みえるが、心こゝろは昔むかしのまゝだ。人間にんげんの冷熱れいねつ世路せろの艱難かんなんは彼かれの肉にくを殺そぎ骨ほねを削けづつても、その心こゝろを傷きづゝけることは出來できぬのであらう。彼かれの胸中きやうちゆうには永とこしへに汚けがされぬ靈花れいくわが潛ひそんでゐる。自分じぶんの心こゝろにもまだ多少たせう昔むかしの影かげが殘のこつてるのか彼かれの詩しの話はなしを聞きくと胸躍むねおどつて、俗事ぞくじに身みを沒ぼつするのが厭いとはしく、社長しやちやうや重役ぢうやうの俗氣ぞくき紛々ふん〴〵たる顏かほに唾つばきでも引きつかけたくなる。

「時ときに山伏町やまぶしちやうの婆ばアさんはどうしたらう、君きみはちつとも行いかないか」と、自分じぶんは突如だしぬけに聞きいた。

「むん、婆ばアさんには一度ども會あはないが、先月せんげつだつたか、あの近所きんじよへ行いつたからね、餘所よそながらどうなつたか見みやうと思おもつて、迂廻まわりみちして行いつて見みると、もう前まへの家いへはない、打壞うちこわして新築しんちくに取とりかゝつてる」

「で、堤つゝみの家うちはどうだ」

「あれは元もとの通とほりだ、家うちの者ものには會あはないが、妻君さいくんの話はなし聲ごゑはしてゐたよ、それで僕ぼくはいろんな事ことが考かんがへられて、暫しばらくあの前まへをうろ〳〵してゐたよ、君きみ、僕ぼく等らが住すんでた二階かいはもう倒たほされて影かげも形かたちもないのだ」と細野ほそのは感かんじを籠こめた聲こゑで、白目しろめを寄よせて云いふ。

「あの二階かい時代じだいが僕ぼくの一生しやうで一番ばん愉快ゆくわいな空想くうさうの時代じだいだつたがね、もう壞こわされたかね。そして堤つゝみの娘むすめはどうしたらう、無論むろん何處どこかへ片付かたづいたらうが、君きみは知しらないか」

「知しらんよ」

「さうか、僕ぼくはね、今いまだから云いふんだが、あの女をんなにラブしてたよ」と自分じぶんは初はじめて他人たにんに打明うちあけた。

「さうか」と細野ほそのは驚おどろいた風ふうもなく、「君きみは獨ひとりで思おもつてただけか」

「無論むろんさ、今いまならあの位くらゐの女をんなに恐おそれを抱いだきやしない、成功せいこうか失敗しつぱいか、兎とに角かく當あたつて見みるがね、あの時ときは奇麗きれいな女をんなを見みりや、頭てんから天女てんによのやうな氣きがして、うつかり手出てだしは出來できやしない、只たゞ拜おがんでばかりゐたんさ、」

「しかしあの女をんなは純潔じゆんけつだよ、僕ぼくは今いまでもあの女をんなを思おもふと、一種しゆの刺激しげきを受うける。そして若もしか彼女あれが卑俗ひぞくな男をとこに結婚けつこんしてゐやしないかと思おもふと、非常ひじやうに哀あはれに感かんぜられる、」

「なあにあれだつて只たゞの女をんなだらう、で、君きみはどうだつた、あの女をんなに思召おぼしめしがあつたか」

細野ほそのは少すこし頰ほゝを紅あかめて、「あの女をんなは一時じ僕ぼくの理想りさうだつたんさ、無論むろん結婚けつこんしたいの何なんのといふ考かんがへは更さらになかつたがね、その代かはり他人たにんとも結婚けつこんしないやうに望のぞんでゐた、結婚けつこんすれば堕落だらくする、だから何時いつまでも獨身どくしんで、女神めがみで一生しやうを送おくるやうに願ねがつてたんだ」

「だが、幾いくら君きみだつて、今いまあの女をんなに會あつたら失望しつばうするだらう、理想りさうの女神めがみ先生せんせい、もう子供こどもの一人ひとりや二人ふたりは生うんで、所帶しよたい染じみてるだらう、」と、自分じぶんは冷笑れいせうして、「あれから、葛原くづはらの大將たいしやうは何處どこにゐるだらう、僕ぼくは堤つゝみの奴やつよりも葛原くづはらに遇あひたいよ」

「あの男をとこは凾館はこだてにゐるさうだ、物產ぶつさん會社くわいしやで多少たせう重おもく用もちひられて、今いまは彼地あちらへ派遣はけんされてるさうだ」

「さうか、葛原くづはらは理想りさうのない俗物ぞくぶつだが、どうもエライ所ところがあるよ」

(七)

自分じぶんは大阪おほさかへ歸かへつて、半歲はんとし程ほどは月つきに二三度ど必かならず細野ほそのへ手紙てがみを送おくつてゐたが、次第しだいに怠おこたり勝がちになり、以前いぜんと同おなじく全まつたく音信おんしんの絕たえるやうになつた。で、殆ほとんど彼かれの名なをすら思おもひ浮うかべなくなつた。所ところが或日あるひ、全まつたく緣えんのない人ひとから彼かれの變死へんしの噂うはさを聞きいたのである。自分じぶんは驚おどろいて詳くはしいことを尋たづねたが、明瞭めいれうには分わからない。只たゞ或ある山間さんかんの溪たにに落おちて死しんだとばかり、自殺じさつやら過失くわしつやら、それも分わからぬ。で、自分じぶんは色々いろ〳〵に想像さう〴〵して見みた。巡禮じゆんれいに出でて崖がけの上うへで、何なにか考かんがへ込こんで足あしを辷すべらしたのかも知しれぬ。水中すゐちゆうに天女てんによの影かげを見みて飛込とびこんだのかも知しれぬ。しかし彼かれは生活せいくわつの困難こんなんの爲ために自殺じさつするやうな男をとこではない。ウエルテルに同感どうかんしてゐたけれど、决けつして失戀しつれんの爲ために自殺じさつする男をとこではない。自分じぶんの生活せいくわつや戀こひの苦くるしみも、自分じぶんから離はなして見みて、泣ないたり笑わらつたりしてゐた男をとこだと、一人ひとりで定きめて、敢あえて細野ほそのの死しについて、彼かれの鄉家くにや友人いうじんから事情じゞやうを聞きかうともしなかつた。それから五年ねんの後のち、自分じぶんは東京とうきやうの支店してんに勤つとめることゝなり、飛立とびたつやうに喜よろこんで上京じやうきやうし、小石川こいしかはに一家かを構かまへた。この時ときは既すでに結婚けつこんをして子供こどもも一人ひとり設まうけてゐたのである。

或夏あるなつの午後ごゞ仕事しごとを濟すませ茅場町かやばちやうの會社くわいしやを出でて、電車でんしやの停留場ていりうぢやうへ向むけて步あるいてると、向むかうから鍔つばの廣ひろいパナマの帽子ぼうしを被かぶつた大柄おほがらの男をとこが、綱引つなびき付つきの車くるまで駈かけて來くる。稍々やや近ちかづいて見みると、それが葛原くづはらのやうだ。もしやと疑うたがひながらその顏かほを見詰みつめてゐた。するとその男をとこも自分じぶんの顏かほを不審ふしんげに見みてゐたが、摺違すれちがう機會とたんに、彼かれから大聲おほごゑで、「槇田君まきたくんぢやないか」と云いつて車くるまを止とめた。

「葛原くづはら君くんですか、どうもさうだらうと思おもつた。久振ひさしぶりだねえ」

「いゝ所ところで會あつた、色々いろ〳〵話はなしもしたいんだが、今日けふは急用きふようがあるんだからね、近日きんじつ改あらためて會あはうぢやないか、堅かたく約束やくそくして置おかう」と互たがひに住所じうしよを交換かうくわんして別わかれた。

この後ご自分じぶんは二三度ど葛原くづはらに會あつて、彼かれのお供ともをして料理屋れうりやや待合まちあひ入ばいりをして呑のみ明あかすこともある。或時あるとき彼かれに向むかつて、

「僕ぼくは山伏町やまぶしちやう時代じだいには寧むしろ君きみを嫌きらつてたが、今いまぢや君きみに感服かんぷくする、君きみはあの時分じぶんから世間せけんを心得こゝろえてたからね、確たしかに僕ぼく等らより十年ねんも進步しんぽしてゐたのだ」と云いつて細野ほそのの話はなしをすると、葛原くづはらも久振ひさしぶりで細野ほそのを思おもひ出だしたらしく、

「あの男をとこには一度ど停車場ステーシヨンで會あつたよ、あれが死しにに旅行りよかうする時ときだつたらう、元氣げんきのない顏かほで、ぼんやり立たつてたよ」と面白おもしろさうに笑わらひ、

「山吹町やまぶきちやうにゐた時とき、何なんでも君きみが一人ひとりで外ほかへ移うつつた後あとでね、餘程よほど面白おもしろかつた。細野ほその奴め、隣となりの美人びじんに惚ほれてゝ、獨ひとりで煩悶的はんもんてきのことをやつてたさ、或時あるときも何なにを考かんがへたかね、夜中よなかに起おきて、裏木戶うらきどから堤つゝみの庭にはへ入はいり込こんでうろ〳〵してたんだらう、其處そこを書生しよせいか誰だれかに見みつかつて、大騷おほさわぎになつたんだがね、隨分ずゐぶん滑稽こつけいだつたよ。水みづで死しんだのも、流行りうかうの失戀しつれん的てき煩悶はんもんか何なにかの結果けつくわだらう」と、冷笑的れいせうてきに云いふ。しかし自分じぶんは細野ほそのが庭にはに忍しのび込こんだのも、何なにかの夢ゆめに誘さそはれたので、別べつに意味いみもなからうと思おもふ。彼かれの死しについては偶然ぐうぜんか故意こいか、誰だれも知しらぬ。只たゞ葛原くづはらは細野ほそののことを話はなす每ごとに、「變へんな男をとこだ」とか「あれぢや飯めしが食うへん、生いきてられる譯わけがない」とか、一口ひとくちに嘲あざけつてしまうのが例れいで、自分じぶんも同意どういはする。しかし時々とき〴〵は細野ほそのが空そらを仰あふいでる姿すがたを思おもひ出だし、彼かれが白雲しらくもの徂徠そらいを見みて感淚かんるゐにむせんでる五分間ふんかんと、葛原くづはらの一代だいの事業じげふと、何いづれが味あぢが深ふかいだらうかと疑うたがふこともある。

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