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何處へ

六號記事

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私わたしは例れいの如ごとく膳ぜんの側そばに新聞しんぶんを引寄ひきよせ、朝餐あさめしを食たべながら目めを通とほしてゐたが、ふと三面めんの隅すみに津坂つさか金きん一(木版業もくはんげふ)が二階かいから落おちて即死そくししたとある塵屑ごみくず扱あつかひの六號がう記事きじの一つを讀よんで、久ひさしく忘わすれてゐたこの男をとこの事ことを思おもひ出だし、急きふに氣分きぶんが欝ふさいで、肝心かんじんな食事しよくじを不味まづくしてしまつた。私わたしのやうな淚なみだ脆もろい人間にんげんは、知人ちじんの死去しきよや病氣びやうきの報ほうを聞きいた丈だけで、直すぐに世よの中なかを心細こゝろぼそく手賴たよりなく感かんずるのだが、左程さほど深ふかい交際つきあひをしたのでもなく、只たゞ偶然ぐうぜん知しり合あひになり、二三カ月げつの間あひだ時々とき〴〵往來わうらいして、再ふたゝび緣えんのない道路だうろの人ひととなつた津坂つさかの死しは、却かへつて懇意こんいな友人いうじんの死しよりも身みに染しみて、人ひとはかくて逝ゆくかとの感かんに打うたれる。彼かれのデツプリ肥ふとつた赭顏あからがほも、多少たせう上方かみがた訛なまりの殘のこれるゆつたり﹅﹅﹅﹅した語調ごてうも、私わたしの目めの奧おく耳みゝの中なかに深ふかく止とゞまつてゐて、今いまもはつきりと思おもひ浮うかべられるが、それは最早もはや死人しにんの影かげに過すぎぬのだ。

私わたしが初はじめて津坂つさかに會あつたのは、去年きよねんの春はるの初はじめ。まだ尾張町おはりちやうの淸元きよもとの師匠しゝやうの二階かいを借かりて、先さきの見みえぬ暮くらしをしてゐた時ときである。師匠しゝやうは藝者げいしや上あがりの意氣いきな女をんな。もう四十過すぎで顏かほに小皺こじわも見みえてゐるが、口先くちさきが甘うまくて、情人いろの取持とりもちぐらゐ何時いつでもして吳くれさうなので、近所きんじよの狼連おほかみれんが頻しきりに出入でいりしてゐた。津坂つさかもその一人ひとりで、目めを細ほそくして、柄がらにない聲こゑを絞しぼり出だし、「よい初夢はつゆめを三つ蒲團ぶとん」だの「辨天べんてんさんと添伏そへぶしの」だのと唸うなつてるのを、私わたしは屡々しば〳〵洩聞もれぎきをしてゐた。で、この男をとこが木版屋もくはんやの親方おやかたで下職したしよくを二三人にん使つかつて氣樂きらくに暮くらしてゐること、酒さけの好すきなこと、釣魚つりの好すきなことなど、師匠しゝやうから噂うはさに聞きいてゐたが、私わたしの目めには外ほかの連中れんぢうと異ちがつたことなく、挨拶あいさつ一つするでもなかつた。然しかるに彼かれは、或朝あるあさ無斷むだんで二階かいへ上あがつて來きて、階子段はしごだんの側そばにどつかり坐すわり、もう酒氣しゆきを帶おびた顏かほに微笑びせうを浮うかべ、「失禮しつれいですが、一寸ちよつとお願ねがひがごあして」といふ。

「何なんですか」と、私わたしが振向ふりむくと、

「實じつはね、今いま師匠しゝやうに聞きくと、貴下あなたにお願ねがひしたらと申まをすんで、失禮しつれいですが突然だしぬけに伺うかゞひました」

「で、用事ようじは何なんです」

「誠まことに御面倒ごめんだうで相濟あひすみませんが、實じつは私わたしの悴せがれが亜米利加あめりかへ參まゐつてるのでね、一つ其奴そいつに手紙てがみを送おくりたいのでごあすが、上書うはがきを貴下あなたに一筆ふで書かいて頂いたゞきたいと思おもひまして」と、重苦おもくるしい調子てうしで云いふ。

「承知しやうちしました、今いま直すぐ書かきませう」と、私わたしは津坂つさかから手紙てがみを受取うけとり、封筒ふうとうにペンで桑港サンフランシスコ何街なにまちと書かいて、

「貴下あなたの子息むすこさんは何なにをしに彼地あつちへ行いつてるのです、矢張やはり木版業もくはんげふですか」

「なあに、只たゞ何なんてことなしに參まゐつたんですが、此頃このごろは商店しやうてんへ入はいつて中々お金かねが取とれるさうです、日本にほんで版木はんぎいぢりしてるよりや結構けつこうでさあ」

「さうでせうね、貴下あなたの商賣しやうばいは隨分ずゐぶん氣きの詰つまる仕事しごとでせう」

「えゝ、辛氣しんき臭くさい面倒めんだうな仕事しごとですよ、だから私わたし共どもの仲間なかまは皆みな酒さけを呑のむか、何なんか道樂だうらくをしない奴やつはごあせん、全まつたく根こんが盡つきますからね」

「しかし貴下あなたは道樂だうらくが多過おほすぎるぢやありませんか、釣魚つりもお好すきださうだし、これも甘うまいし」と、私わたしは自分じぶんの喉のどを指さした。

「へツ〳〵〳〵」と、津坂つさかはツル〳〵した頰ほゝを撫なでながら「しかしこれで手間てまを怠なまけて日限にちげんを遲おくれるてことはごあせん、仕事しごとは仕事しごと、道樂だうらくは道樂だうらくですからな」と、彼かれは重おもたい身體からだを持上もたげ、幾度いくども謝意しやいを述のべ、「是非ぜひ遊あそびに被入いらつしやい、私わたしの家うちは直すぐこの裏うらですから、何いづれその中うち沙魚はぜでもお禮れいに持もつて參まゐりませう」と、階下したへ下おりたが、門口かどぐちを出でると何なにか小聲こごゑで唄うたつてるやうであつた。

それから四五日後にちご、私わたしは或ある友人いうじんから甲州かふしう土產みやげに貰もらつた水晶すゐしようの印材いんざいを捜さがし出だし、津坂つさかに彫ほらせやうと思おもつて訪たづねて行ゆくと、津坂つさかは筒袖つゝそでを着きて仕事しごとをしてゐる。低ひくい机つくゑの上うへに凸鏡レンズを置き、細ほそい小刀こがたなで微細こまかい繪ゑを彫ほつてゐたが、私わたしの顏かほを見みると、「やあよく入いらしつた」と、急きふに笑顏ゑがほを造つくつて振向ふりむき、黑くろい眼鏡めがねを外はづして坐すわり直なほした。

家いへは廣ひろくはないが日當ひあたりがよく、主人しゆじんが潔癖けつぺきと見みえて諸道具しよだうぐはキチンと整頓せいとんし、塵ちり一本ぽんもないやうに拭掃除ふきそうぢが行屆ゆきとゞいてゐる。如何いかにも居心地ゐこゝちのよい家うちだ。片隅かたすみには弟子でしが二人ふたり、默だまつて一心しんに仕事しごとをし、次つぎの室まには妻君さいくんと女をんなの子この笑わらひ聲ごゑがしてゐる。成程なるほど唸うなる時ときは唸うなり、飮のむ時ときは飮のんでも、仕事しごとには身みを入いれると云いつたが、この男をとこ腹はらに締しまりのある、しつかり者ものであらう。この仕事しごと場ばを見みたゞけでも、だらし﹅﹅﹅ない趣おもむきは少すこしも見みえず、版木はんぎは几帳面きちやうめんに積重つみかさねられ、鋸のこぎりも錐きりも取散とりちらされてはゐない。机つくゑの側そばの柱はしらには鯉こひの形かたちの花瓶はないけを釣つるし、一莖くきの水仙すゐせんを挿さしてゐる。

「今日けふはお忙いそがしさうですね、」と、私わたしは彫刻ほりを賴たのんだ後あとで云いつた。

「何なに、さうでもごあせん、此頃このごろは木版もくはんも流行はやらなくなつて、暇ひまで困こまつてる位くらゐでさあ、まあ、ゆつくり﹅﹅﹅﹅話はなして入いらつしやい、貴下あなたにお尋たづねしたいこともあるんですよ」と津坂つさかは充血じうけつした目めをこすり〳〵、稽古けいこに來くる時ときとは打うつて變かはつて眞面目まじめな顏かほで云いふ。

「ぢや、も少すこし遊あそんで行いきますから、私わたしに遠慮ゑんりよなく仕事しごとをして下ください、話はなしは仕事しごとをしてゝも出來できる」

「いや、私わたしやね、道具だうぐを持もつと、ちやんと彫ほり上あげるまで口くち一つ利きけん位くらゐでしたよ、こんなやくざ﹅﹅﹅な腕うででも、さあ仕事しごとだとなると、魂たましひが凝こるんですね、所ところが此頃このごろは變へんですよ、仕事しごとに取とりかゝると、平生ふだん思おもひもつかんことがごた〴〵と考かんがへられます、もう二十年ねんもこの仕事しごとをやつてゝ、こんな事ことは一度どもなかつたのですがね、どうも不思議ふしぎだ」と考かんがへ込こむ。

「腦なうが惡わるいんぢやないですか、あまり酒さけを飮のみ過すぎて」

「なあに、私わたしの身體からだは酒さけ位ぐらゐで弱よはるやうなのぢやない」

と云いつて、例れいの重苦おもくるしい聲こゑで笑わらふ。それから前夜ぜんやの勸工場くわんこうばの火事くわじの面白おもしろかつたことを手眞似てまね付つきで話はなし、又また市區しく改正かいせいで通とほりの鞄屋かばんやも立退たちのかねばならんので、この近所きんじよの家屋敷いへやしきを買かつて新築しんちくするさうだから、自分じぶんの家いへも高たかく賣付うりつけてやるなどゝ氣燄きえんを吐はいた。その態度たいど、話振はなしぶりが少すこしも隔意へだてなく、初はじめて訪問はうもんした私わたしに對たいしても、さながら長ながい間あひだの知己ちきのやうであるので、私わたしは悅うれしくなり、思おもはず長座ちやうざをした。そして彼かれの身みの上うへを聞きくと、大阪おほさか生うまれで、少ちさい時ときから酒屋さかやに奉公ほうこうしてゐたが、身體からだが肥ふとつてる爲せいか、飛廻とびまはるのが厭いやで、遂つひにこの商賣しやうばいを習ならふことゝなつたさうだ。

「さやう、初はじめて三文判もんばんを彫ほり出だしたのが、二十はたちの歲としですから、丁度てうど二十五年ねんこれで御飯ごはんを頂いたゞいてます、しかし木版もくはんなんか、もう駄目だめですな、何なにかうん﹅﹅と儲もうかる確たしかな商賣しやうばいはごあせんか、先日こなひだも、或方あるかたが、これから寫眞版しやしんばんなんかゞ進步しんぽすると、木版もくはんのやうな不完全ふくわんぜんな者ものは無なくなつてしまふと仰有おつしやるので、心細こゝろぼそくなりましたよ、現げんに私わつしのお受合うけあひしてる新聞しんぶんや雜誌ざつしの仕事しごとが、大分だいぶん寫眞版しやしんばんに踏ふんだくられてしまふんですからね、本當ほんたうに心細こゝろぼそうごあすよ、私わつしが家内かないを貰もらつて一本立ぽんだちになつた時とき、親方おやかたが貴樣きさまはそれ丈だけ腕うでが利きけば、大丈夫だいじやうぶ一生しやう飯櫃めしびつに放はなれつこはないつて受合うけあつて吳くれたんですが、どうもね、世よが變かはりや仕方しかたがごあせんや、」と云いつて下職したじよくを顧かへりみ、「だから彼奴等あいつらにも云いつて聞きかすんです、こんな手賴たよりにならん稼業かげふは若わかい間うちに早はやく見限みかぎつて、何なにか氣きの利きいた確たしかな仕事しごとをしろつてね」と、これが淸元きよもとを唸うなつてる男をとことは思おもへぬ程ほど生眞面目きまじめで、腹はらの底そこから感かんじてゐるやうだ。下職したしよくの一人ひとりは大おほきな眼鏡めがね越ごしでこつそり﹅﹅﹅﹅此方こちらを見みて、口くちの邊あたりで笑わらつてゐる。私わたしも親方おやかたの愚痴ぐちを寧むしろ可笑をかしく感かんじたが、多少たせう慰なぐさめてやる氣きで、「でも木版もくはんは日本にほん特有とくいうの美術びじゆつだから、廢すたれる氣遣きづかひはないでせう、西洋せいやうでも此頃このごろは日本にほんの木版もくはんには感心かんしんしてるんだから」

「さうですかな」と、尙なほ多少たせう不安心ふあんしんらしい。

私わたしは仕事しごとの邪魔じやまを恐おそれて、强しいて引留ひきとめられるのを辭じして歸かへりかけると、津坂つさかは跛足びつこ引ひくやうにして、送おくつて來きて、「近々ちか〴〵に釣魚つりに行いつてどつさり﹅﹅﹅﹅釣つつて來きますから、その時ときやお宅たくへ押おしかけて一盃ぱいやりませう」と約束やくそくした。

その後ご四五日にち心待こゝろまちにしてゐた甲斐かひもなく、彼かれは更さらに顏かほを見みせず、稽古けいこにも來こぬらしい。無聊ぶれうで友懷ともなつかしい私わたしは、遂つひに待切まちきれずして、或ある晚ばん此方こちらから訪たづねて見みたが、生憎あひにく彼かれが無斷むだんで何處どこかへ出でて行いつた後あとで、妻君さいくんは「お宅たくへお稽古けいこにでも行いつたことゝ思おもつてゐました」と云いつて、氣遣きづかつてる樣子やうす。

私わたしはあんまり懇意こんいでもない家うちへ、度々たび〴〵遊あそびに行ゆくのを變へんだと思おもつて、それ切きり足あしを向むけず、殆ほとんど忘わすれかけた頃ころ、師匠しゝやうが私わたしに向むかつて、

「木版屋もくはんやの親方おやかたは腦病なうびやうとか何なんとかで、通とほりで倒たほれたんですつてね」と平氣へいきで云いふ。私わたしは吃驚びつくりして「ぢや腦充血なうじうけつですか、酒さけが過すぎたんだらう、そして生命いのちはあつたんですね」と問とふと、

「何なんでもね、くら〳〵つと眩暈めまいがして轉ころんだんださうですよ、それでも家うちの近ちかくだつたから助たすかつたんですわ、まだ少すこしは性根しやうねがあつたのか、無我むが夢中むちうで四つ這ばひをして、やつとこさで家うちの閾側しきゐぎはまで歸かへれたのですつてね、隨分ずゐぶん可笑をかしかつたでせうよ、あの肥ふとつた男をとこが眞晝中まつぴるなかに大通おほどほりを匍はつて步あるいたと云いふんですから」と、師匠しゝやうは笑わらひ出だした。

「それでも、もうよくなつたんですか」

「えゝ、根ねがあの通とほり丈夫じやうぶなんですもの」

と、話はなしはこれだけで濟すんだ。で、私わたしは一寸ちよつと門口かどぐちまで見舞みまひに行いつたが、遠慮ゑんりよして病人びやうにんには遇あはなかつた。

それから二十日はつかあまり、窓まどへ差込さしこむ春はるの日ひもめつきり﹅﹅﹅﹅温あたゝかくなり、一冬ふゆ着通きとほしの襟垢ゑりあかの染しみついた下着したぎを脫ぬぎ、身みの輕かるくのび〳〵﹅﹅﹅﹅とした時分じぶん、思おもひがけなく津坂つさかが入はいつて來きた。相變あひかはらず肥ふとつてゐるし、顏かほも赭あかいが、前まへほど勢いきほひがなく、唇くちびるが黑くろく朽くちてゐる。

「病氣びやうきはどうです」と、私わたしは欄干てすりに干ほしてる座蒲團ざぶとんを取とつて津坂つさかに敷しかせた。

「へゝゝゝ、どうも弱よわつちまひました」と、彼かれは口くちを利きくのが、如何いかにも怠だるさうだ。

「一體たい何處どこが惡わるいんです」

「何處どこと云いつて餘程よほど變へんですよ、醫者いしやは鼻はなが病氣やまひの元もとだらうつて、切開せつかいして吳くれたんですが、矢張やはりりよくなりません、何なんでもかう頭あたまの端はしの方はうが風かぜに吹ふき飛とばされさうになるんでね、一日にち氣きになります」と左ひだりの手てで頭あたまを撫なでまはす。

「なあに養生やうじやうしてりや癒なほるさ、酒さけを止やめて釣魚つりをしたり唄うたを歌うたつて遊あそんでたらいゝでせう」

「醫者いしやは寢酒ねざけの少すこし位ぐらゐはいゝつて云いふんですが、何なんだか恐おそろしくて、盃さかづきを見みると身震みぶるひがして一滴しづくも飮のむ氣きになりません、どうも妙めうな者ものです、飮のみ過すぎや食くひ過すぎで身體からだに障さはるなんて、ついぞ思おもつたことはなかつたんですがね、二十日はつかも酒さけを絕たつたのは今度こんどが初はじめですよ、それで氣晴きばらしに釣魚つりにでも行いけと勸すゝめられるんで、二三日にち前まへに小僧こぞうと一緖いつしよに行いきましたが、廣ひろい海うみに蒼あをい波なみが動うごいてるのを見みると、自分じぶんもその中なかへ吸すひ込こまれさうで恐こはくてなりません」

「ひどく臆病おくびやうになつたんですね」と、私わたしは大おほきな男をとこの悄然しよげた樣子やうすを憫然みじめに感かんじた。

「皆みんながさう申まをして笑ひます、何處どこか身體からだの楔くさびが弛ゆるんだんですかね、それで夜よるも碌々ろく〳〵寢ねつかれませんから、色いろんなことを考かんがへますが、つまり今いまの稼業かげふが惡わるいんでさあ、坐すわつてゝ細こまかしい仕事しごとを二十年ねんも三十年ねんも續つゞけてたから、こんな病氣びやうきに取とつつかれたんだ、つまり木版もくはんに取殺とりころされたのです、それもどつさり子供こどもに殘のこす程ほどの身代しんだいでも出來できることか、商賣しやうばいは衰微すゐびして、この先さき糊口くちすぎさへ六ケ敷しいんですからね、昨日きのふも氣晴きばらしに銀座ぎんざから丸まるの内うちの方はうへ步あるいて見みましたが、世間せけんには木版もくはん稼業かげふよりやいゝ商賣しやうばいが幾いくつもころがつてる、何故なぜ自分じぶんは酒屋さかや奉公ほうかうを止やめた時とき、呉服屋ごふくやの丁稚でつちにでもならなかつたのだらう、何故なぜ銀行ぎんかうの給仕きふじにでもならなかつたのだらう、さうすれば何時いつまでも五體たいが丈夫じやうぶで、仕事しごとも衰微すゐびすりやしないのに、よくも〳〵人間にんげんの撰えり屑くづの木版屋もくはんやなんかになつたことかと、つく〴〵厭いやになりました」

「そんなに欝ふさがなくてもいゝでせう、酒さけが飮のめなけりや、唄うたでも唸うなつて陽氣やうきにやるさ、腦病なうびやう位ぐらゐ直なほつてしまふ」

「唸うなつても五體たいに惡わるかあないでせうか」

「惡わるいものか、却かへつて藥くすりになりますよ」

「さうですかね、どうも惡わるいやうな氣きがしてならん」

「そんな事ことはないさ、第だい一好すきな者ものを何なにもかも封ふうじてしまつちや生甲斐いきがひがないでせう」

「さうも思おもふんですが、どうも恐こはうごあしてね、口くちに唾つばきが出でても盃さかづきを執とる氣きになれません」と、津坂つさかはだるく﹅﹅﹅目葢まぶたを垂たれ手てを拱こまねいてゐたが、暫しばらくして頭あたまを持上もたげ、

「御面倒ごめんだうですが、一つ亜米利加あめりかの忰せがれにやる手紙てがみを書かいて頂いたゞけますまいか、私わたしが書かくといゝんですが、手てが震ふるへて書かけませんから」

「よろしい、今いまでも書かいて上あげますが、何なんと云いつてやるんです、病氣びやうきのことですか」

「え、病氣びやうきも知しらせてやりたいんですが、忰あれが何なにか仕事しごとを定きめる時ときにや、先さきの確たしかな何時いつまでも繁盛はんじやうするやうな仕事しごとを撰えらべと、御面倒ごめんだうですが一筆ふで書添かきそへて下くださいまし」

「それで貴下あなたが御病氣ごびやうきでも心配しんぱいするにや及およばん、歸かへるにも及およばんと書かいてやるんですね」

「左樣さやう、どうせ彼かれが私わたしの後繼者あとゝりだから、私わたしが死しねば歸かへらなくちやなりませんが」と云いつて、急きふに厭氣いやきが差さしたか、眉まゆを顰ひそめて首かぶりを振ふり、「なにまだ大丈夫だいじやうぶですよ、だから心配しんぱいするな、しつかり稼かせげとお書かき下ください」

で、私わたしは洋紙やうしへペンで書かきかけると、津坂つさかは少すこし伸上のびあがつて、目めをペン先さきに配くばり、取留とりとめなく用向ようむきを述のべ立たてる。

やがて認したゝめ終をはり、吸取紙すゐとりがみで墨汁いんきの潤うるみを乾かはかせて、私わたしは念ねんのために讀よんで聞きかせた。

「拜啓はいけい、當地たうちは春暖しゆんだんの好こう時節じせつ、櫻さくらも咲さきかけ申まをし候そろ、母はゝも無事ぶじ妹いもとも無事ぶじ御安心ごあんしん相成あひなるべく、父ちゝは先月せんげつ來らい腦病なうびやうにて仕事しごとも休やすみ居をり候そろが、ほんの輕症けいしやうなれば、別べつに御配慮ごはいりよにも及および申まをさず候そろ、扨さて先日せんじつ御申越おんまをしこしの事件じけん……」云々うんぬんと、宛名あてなまで讀よみ終をはり、

「これでいゝんですか」と聞きいた。

「えゝ結構けつこうです、どうも有難ありがたう御座ございます」

と、津坂つさかは頭かしらを二三度ど下さげたが、私わつしが手紙てがみを封筒ふうとうに入いれかけるのを見みて、さも言憎いひにくさうに、「甚はなはだ御面倒ごめんだうで申兼まをしかねますが、私わつしの病氣びやうきのことを、もつと、何なんとか色艶いろつやをつけて書かいて頂いたゞけますまいか」と云いふ。

私わたしは不思議ふしぎに思おもつて、「ぢやどう書かくんです、病氣びやうきが重おもいと云いつてやるんですか」

「いえ、重おもいでもありませんが、忰せがれがこの手紙てがみを讀よめば、親爺おやぢは氣きの毒どくだ可愛かあいさうだと、淚なみだの一雫しづく位くらゐは落おとすやうに書かいて頂いたゞきたいと思おもひましてね、」

「だつて、それぢや御子息ごしそくが心配しんぱいなさるでせう」

「それもさうですね、」と少すこし考かんがへて、「しかし、私わつしの手賴たよりにするのは彼かればかりで、此頃このごろは每晚まいばんのやうに彼かれを夢ゆめに見みます、だから私わつしが酒さけも飮のまずに每日まいにち何なにか案あんじて暮くらしてる樣子やうすを、よく腑ふに落おちるやうに知しらせてやつて彼かれが私わつしの事ことを夢ゆめにでも見みるやうにさせたいんです、さうでもしないと、世よの中なかが心細こゝろぼそくつてなりません」

「隨分ずゐぶん六むづケか敷しい御註文ごちうもんだが、力ちから一杯ぱい工夫くふうして見みませう」

と、私わたしは三十分間ぷんかんも考かんがへ、三四度ども書直かきなほして、哀あはれつぽい文句もんくを二つ三つ書かき加くはへ、認したゝめ終をはつて讀よんで聞きかすと、津坂つさかは膝ひざに手てを置おいて耳みゝを傾かたむけ、感かんに打うたれてか、どんより﹅﹅﹅﹅した目めに淚なみだをさへ浮うかべた。

「結構けつこうです〳〵」と、彼かれは胸むねの蟠わだかまりが融とけた如ごとく感かんじたらしく、手紙てがみを持もつて勇いさましく二階かいを下おりた。

それから五六日にち後のち、津坂つさかは私わたしにかの水晶すゐしやうの印いんを送おくり屆とゞけたが、それと共ともに、多年たねん大切たいせつにした自分じぶんの見臺けんだいを、師匠しゝやうに進呈しんていしたさうである。私わたしは間まもなく轉宅てんたくしたから、その後ご一度ども津坂つさかに遇あはぬ。手紙てがみの遣取やりとりもせぬ。只たゞ遺物かたみの印いんは今いまも座右ざいうにあり、その面影おもかげは今いまも私わたしの目めに殘のこつてゐる。

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